マツモトセンノウはなぜ失われたか──外来の草花に押され

マツモトセンノウの江戸時代の園芸品種が何処へ消えてしまったのか。これは多年草であるが、放任すると株が次第に高くなって、根が深い土に届かず次第に乾きすぎて元気がなくなり、ついには花も咲けずに枯れてしまう事が多い。付近にこぼれた種子が発芽して世代の交代をする事もあるが、新しい形や色の生まれることは少ない。もう一つは明治以来、外来の派手な草花が多くなって、茶花的の花は見捨てられてしまう事が多かった。カキツバタの品種が失われたのも同様な原因であろう。日本の園芸文化の失われたものを再現する事はいろいろな植物で扱われている。カキツバタは近年、各所での努力で昔記録されているものに近い多くの品種が発見あるいは再現された。江戸時代の日本の園芸植物の大部分はヨーロッパに持って行かれたが、マツモトセンノウのみは生きたものは持って行かれなかったらしいことも不思議である。園芸に志す者の1人として私がマツモトセンノウの昔の多くの品種を再現しようと考えたのは当然。まず前回に記した長谷村の種類の花弁に白いカスリがあるのを見つけ、白色品種育成の可能性を見て実生をおこなったところ、昔の記録どおり白花が出来た。これを更に茎葉花共に整ったものにしたのが白雪姫である。
   (辰野朝日新聞・昭和57年12月25日掲載)
  写真撮影:青木繁伸氏(群馬県前橋市)

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