カキ[2]──当地は蜂屋系のみ

大正年間に農林省で全国の地方種の柿(かき)の謄写版図入りの文献の中には当地の地方種は一つも含まれていない。にもかかわらず、皆接ぎ木であるということはやはり地方的に優れたものをふやしたためだろう。当地にある柿で名のあるのは蜂屋系のみである。塩尻で長地蜂屋といっている柿は長地と塩尻と小宅にある。小宅のものは、叔父が長地から持ってきたらしい。腰高の良型で、各種の加工にも最適、これは暖地に植えれば甘柿となる可能性がある。北大出の2本と小宅の1本は奈良の藤原御所であることは間違いない。お寺参りの古人が持って来たものと思う。当地では渋柿である。熟柿と干し柿とアルコールによる渋抜きをするとこんな軟らかいすべらかな肉質は他にない。この実生系の接いだものはちょっと小型になるが辰野には各部落に沢山あった。いわゆる一両柿というのは全国にそれぞれあるが整枝が悪いと年なり隔年結果で実る年にはものすごくなって小さく味も悪い。
柿は当地の800メートル以上の所では温度が不足でというよりは冬芽の中にある幼蕾が凍死するために、冬芽の外観からは完全な花芽であるが春芽がのびてみると蕾が出てこない。この蕾の凍死は、発芽前の晩霜によってもおこる。暖地系の平核無(ひらたねなし)や蜂屋系もこの冬の低温で花芽の凍死がおこって、その年の柿の豊凶の原因ともなっている。豊凶の最大のものは豊作の年の柿もぎの時に、次年の結果母枝を一緒に折ってしまうからである。
   (辰野日報・昭和59年11月24日掲載)

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