栽培ギクの祖先は一体何だろうか。それについては色々の説がある。関西から中国中部南部に野生のあるシマカンギクが一つの親であることは間違いない。それとチョウセンノギクとの交雑種から唐代あるいはそれ以前に淘汰選抜されて園芸化したものが、当初は日本に入って来たのは事実だろう。ノヂギク、オオシマノヂギク、当地にもあるリュウノウギク等の多系説も古くからある。リュウノウギクは晩秋に信州でも見かけられる小輪の白花のノギクである。然し各地のものを集めて見ても変異は非常に稀である。
大島町上片桐出身の故宮沢文吾農博が現在の宮崎大学の教授であった昭和初年、ノヂギクの変異を集めて見た。昔は関西から九州の山野にはどこにでもあるノギクで、植物採集に歩く度に新しい変異を発見できた。染色体数が遺伝学や品種改良で問題になりはじめたころで、染色体数は栽培菊と同一である。そこで栽培菊の有力の祖先と見て、ノヂギクやシマカンギクの変異を交配して栽培菊が再現出来るかどうかの交配がはじまり、後半は筆者もお手伝いした。イソギクやリウノウギクを交配したものからは栽培菊との接点は見つからなかったが、ノヂギクの変異とシマカンギクの交配を繰り返すうちに、栽培菊の中小輪級と全く変わらないものが沢山出て来て、ノヂギクが栽培菊の祖先の重要な位置にあることが確認できた。
(辰野日報・昭和60年11月29日掲載)
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